第94回 コロナ禍の中で

今から50年前の1970年11月25日、三島由紀夫は45歳で自ら命を絶った。
今から40年前の1980年12月8日、ジョンレノンは40歳でファンによって命を絶たれた。
自分は、その年齢を十数年超えて生きている。

三島由紀夫の死を知ったのは小学校1年。
学校の授業を終え近所の歯科医院の待合室でテレビを見ながら順番を待っていた。知らないおじさんが軍服を着て建物の2階バルコニーから見下ろし何か大声で訴え叫んでいるのを。恐らく15時から17時ぐらいの時間だからテレビのワイドショーでニュースとして放送をしていたのだと思う。当時まだ小学校1年生であるから三島由紀夫とは誰なのか知る由もなかった。ただ、50年たった今でもその光景は鮮明に思い出すのである。現在その歯科医院は廃業をされ建物は当時の面影を残し佇んでいる。

ジョンレノンの死を知ったのは高校2年。
ラジオの深夜放送番組からニュースとして流れてきたのを勉強しながら聞いていたのを覚えている。高校時代のその頃はビートルズの音楽をレコードからラジカセに録音をし、そしてギターを弾きながら音符やコードを楽譜に起こしていたころである。当時は、衛星放送もオリンピックやサッカーのワールドカップなど位にしかテレビでは放送をされてなくて、海外のニュースが日本に入ってくる時間のギャップは現在とは雲泥の差はあった。

数日間は只々ビートルズの音楽を聴いていたのを鮮明に覚えている。その時のギターもラジカセも今は手元にはない。
普通に生きていて突然この世を去らなければいけないものと。
自ら死を選んで決意のもと死に急ぐものと。
残されたものの想いは互いに感じるものがあるのではないのか。
昭和の時代に心の琴線に触れた「いきる」に対する想いである。

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