まだまだ日中は真夏の暑さが続きますが、京都では五山の送り火も終わり少しずつ日の暮れる時間の早さを感じるようになってきました。
つい先日、全国高校野球選手権大会では、仙台育英高校が東北勢で初優勝を飾り「白河の関」という耳慣れない言葉がニュースを賑わしています。甲子園に出場できたのが49校。地方大会を入れると日本全国3603校の中から勝ち抜いたようです。さらに地方大会に参加していない高校の野球部をいれると何人の球児がいるのだろうかと考えてしまいます。
特に3年生にとっては「最後の夏」の大会。今の高校3年生というのは、中学校生活も終わりに近づき新しい高校生活を期待に胸躍らせていたちょうど2年半前に、新型コロナウイルスが世の中のニュースを騒がし始め、高校入学してすぐに緊急事態宣言にて休校、再開されても思うように活動できない日々が続きました。その後も中止・縮小の繰り返しが続く学校行事や部活動、もちろん野球だけでなく全ての活動において不自由な思いをしてきた2年半でした。
さまざまな活動団体、年代があり、それぞれ一区切りを迎えるタイミングも違うかと思いますが、一般的によく言う「最後の夏」という表現。特に多いのは、中高生の部活の引退時期に使うかと思います。
夏の甲子園に限って言うと、今年は観客も入り、通常に比べ選手・応援など制限されていることはあるでしょうが、比較的いつもの景色に近い形で開催されていました。その一方、昨年は無観客、一昨年は中止という結果になっています。
我が家の息子がちょうど今、中学3年生で部活はバスケットボールをしていました。同じようにこの2年半の間、部活だけでなく、通常行われるはずだった学校行事においても不自由な思いをしてきました。保護者としても結局、参加できた日曜参観もなく、体育祭は縮小して平日行われ、部活においては試合を観戦に行けるようになったのは今年の春からの3ヵ月間だけでした。
小学生時代からミニバスをしてきた息子は中学でもバスケットボールを続け、現在娘がミニバスを頑張っています。私自身、練習も含めて試合など観戦にいけるタイミングではなるべく観戦に行くようにしています。単純に観ているのが好きなのですが、それ以上に子どもが頑張っている姿というのは、私自身の日々の「パワーの源」です。体力的にはもう負けているのでしょうが、まだまだ気持ちでは負けてられない。さぁまた明日から負けないように頑張ろう!というある意味ライバルであり、力をもらえる存在です。
どんな形であれ「最後の夏」を過ごした球児たちや、不自由な時代を過ごした子ども達においても、同じように周りに前を見続けるパワーを与えているんだと思います。例え大会が開催されなくても、参加すらできなくても、それでも多くの人たちに力を与えているということ。「パワーの源」であったし、これからもそうであるということ。あまりにも理不尽で悔しい思いをした気持ちは本人にしかわかりませんが、しっかりと見届けている人は周りにいます。全ての理不尽を乗り越えて次のステップに胸を張って進んでいってほしいなと見届けている側として思っています。そしていつかどこかで、次は自分がパワーをもらっていく番になるんだと思います。
我が息子に対する「子育て」と言われる期間は半分をとっくに過ぎましたが、残りの中学校生活も楽しみながら充実した毎日を過ごし、来年の春からも新たなステージで、私の「パワーの源」であり続ける息子に負けないようにと改めて感じた「最後の夏」でした。