「主体者意識」-主体者であるということ-

当社での今月の重点事項は『主体者意識で行動する』です。

私自身が数年前からよく意識する言葉。
『主体的』『主体者』であるということ。

組織論やリーダーシップ論の中によく出てくるこの言葉。
その字の通り、自分が主であると認識すること。
自分ごととしてとらえることです。

人は複数人集まると、必ずといっていいほど何らかの役割が発生します。
目的があるなしに関わらずその輪の中で自分なりの居場所が出来るからです。
調和を重んじる人、協調性がある人、自己中心的な人、傍観する人・・・。

皆さんはどういう時に、『主体者』となりますか?
自分の人生の主体者はもちろん自分自身でしょう。
では家族の中での主体者は・・・。仕事での主体者は・・・。
あらゆる環境で自分が主体者かどうかを考えるとかなり頭を悩ませそうです。

でも自分が働いている会社であったり、所属する団体の活動であったり、地域活動であったり、人間関係などは、全て自分の人生に関わっている訳です。もっと世界を広げてみれば、世界を平和にすることに対しても『主体者』になるのではないでしょうか。

こう考えると、『主体者』意識を持つというのはあらゆるものに当てはまるものなのでしょう。

しかし、なぜか人は、傍観をしてしまいます。誰かがやってくれるだろうと思ってしまいます。

手が届かないから?現実的に難しいから?面倒くさいから?そもそも興味がないから?
色々な理由はあると思いますが、自分ごととして捉えにくいのかもしれません。
だから自分に影響が大きい順番に『主体者』となる人が多いかと思います。

さて、ここからが本題です。

『主体者意識』というのはその時々で様々ですが、自分の人生においてとても大事なことであるにも関わらず、『主体者意識』を持たず、『主体的』に考えない人を見かけることがあります。
自分ごとなのに他人ごとのように考えてしまうこと。
「傍観者」と言われる人ですね。

これは誰かが何とかしてくれるだろうという気持ちから生まれるものなのか、自分の人生なのに自分で作ろうとしていないというのか理由は様々あると思いますが、それはとても残念に思います。

そして、もう一つよくあるのが、意見だけ言って、一緒に何かをしようという気がない人です。
「評論家」と言われる人ですね。

自分は責任ある立場には立たないで、好き勝手な意見を言うことです。『主体者意識』のない発言は一方的になりがちです。
本来ならば問題点を指摘しつつも改善案を提示しなければなりません。
私自身も「傍観者」と「評論家」にはならないように気を付けています。

一人ひとりが関われる度合いに違いはあっても、一人ひとりが『主体者』とならなければその活動の発展は望めないでしょう。
自分ごととしてとらえると、課題が出てきたときに、放置することはできません。何とかして改善しようと知恵を振り絞ります。そうすると前向きな発言になり、それがいろいろな角度から交錯することで良い変化が起こります。
この良い変化は自分ごととして動いた結果なので、自分ごとのようにうれしくなります。
こうして良い循環が生まれて、その事柄や活動が発展していくものと思います。

関わる人に『主体者意識』をもってもらうのはリーダーの仕事です。私自身も、社員のリーダーも、関わってもらう人の主体者意識を向上してもらえるよう励みたいと思います。

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