いきなり妙なタイトルですが、データというものは非常に恐ろしいものです。近年コンピュータが発達して、記録媒体が紙からメディアへと移り変わっています。それに伴いデータ容量は増大していき、多くの貴重な情報が小さなメディアの中に収まっています。
情報のコンパクト化、これは非常に便利になったのですが、厄介なのはこのコンピュータデータです。目に見える資料から目に見えない資料へ。手で触れる情報から、モニタを通してしか見る事のできない情報。そのデータ構造がいったいどうなって保存されているのか、何をしたらどうなるという原因と結果を完全に知っている人はどれだけいるのでしょうか。
少し前になりますが、当社のコンピュータで制作していたデータが、急に壊れて開けなくなった事がありました。何日もかけて制作したデータでしたので、その時は必死で復旧作業にかかりっぱなしになりました。何故そんなことが起きたのか、どうやったら元に戻せるのか等、本当に試行錯誤して情報を集め、苦慮しました。バックアップは取っていましたが、そのバックアップすらも壊れてしまっていたのです。ソフトのバグと言ってしまえばそうなのですが、それを言ったところで何も変わりません。
復旧作業は企業にとってほとんどメリットを生みません。復旧のノウハウがただ蓄積されるだけです。それもいつも同じ障害が起こる訳ではないですから、あまり有用なノウハウではありません。
その後コンピュータ自体を調べてもらいましたが、結局原因は分からずじまいでした。原因が分からない以上、その問題自体に対策は打てず、バックアップ方法をより厳重にするなど、保険的な対策を打つしか方法はありませんでした。これがコンピュータ社会というものなのかと改めてデータの怖さを思い知りました。
情報セキュリティというのは企業にとって売上に直結するものではないですし、信頼性に比例して費用がかかっていきます。どこまで厳重にしなければならないかを見直していく事と、データないしコンピュータを信頼しすぎてはいけないものだという事を学びました。